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加治屋町(かじやちょう Kajiya-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町。郵便番号は892-0846。人口は1,867人、世帯数は1,112世帯(2010年2月末現在)〔統計情報 - 鹿児島市ホームページ〕。加治屋町の全域で住居表示を実施している。 江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した維新の三傑と称されている西郷隆盛・大久保利通、日露戦争において日本を勝利に導き、「陸の大山、海の東郷」と称された東郷平八郎・大山巌、第16・22代内閣総理大臣である山本権兵衛などの出身地としても知られている(「#著名な出身人物」の項を参照)。 明治維新から日露戦争までの期間に活躍した薩摩藩関係者の多くを加治屋町出身者が占めていることから、歴史小説家の司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評している〔加治屋町(鹿児島市) - 朝日新聞(2014年11月21日付)、2015年5月16日閲覧。〕。 == 概要 == 鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には西千石町、南方には甲突川を挟んで上之園町及び高麗町、東方には山之口町及び樋之口町、西方には甲突川を挟んで中央町がそれぞれ隣接している。 東端を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が南北に通り、北端を鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。両道路共に鹿児島市電が通っており、北東端には高見馬場電停、北西端には加治屋町電停、南東端には甲東中学校前電停(2015年4月30日までは市立病院前電停)が所在している。 町域の中央部には鹿児島県立鹿児島中央高等学校が所在し、同校内に東郷平八郎生誕記念碑、篠原国幹、村田新八誕生地など、多くの史跡碑が設けられている。 また、甲突川河畔には維新ふるさと館が所在し、加治屋町を発祥とした日本近代史の歴史考察と展示を行っている。同町の南端部には2015年4月30日まで鹿児島市立病院が所在していたが、上荒田町の日本たばこ産業旧鹿児島工場跡地に移転した。 加治屋町は島津藩政時代、下級武士の居住地(下加治屋町方限、上加治屋町方限などに分かれていた)であったため、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した西郷隆盛、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、樺山資紀などの英傑を数多く輩出しており、それぞれの生地に記念碑が建立されている〔『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.681-682〕〔加治屋町 - 鹿児島市 2011年12月6日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加治屋町 (鹿児島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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